shantidam

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サントーシャ 知足

足るを知るもう全部最初からあるから何も足さなくても欲張らなくても頑張らなくても最初からあるから満たされてるからもうそこに在るだけで存在だけでその事をちょっと色々あって忘れちゃってるだけ隠しちゃってるだけ見えないだけで蓋しちゃって覆っちゃって忙しく動き回るせいで止まらないからだんだんゆっくりして静かにしてとどまる静けさが続くように静けさの中に無心さの中にとどまるようにどこにも行かないで圧倒的な大自然を前に時が止まり涙が溢れてくるような魂が震えるような感動が湧き上がった時思考は停止する自分がなくなる一つになるふと我に帰ったときふつふつと内側から勇気と元気が溢れてくる幸福でいっぱいになる溢れて周りまで幸せにしちゃう心が止まったときいっぱい内側から出てくる聖典ヨーガスートラは説く“Yogas chitta vritti nirodha” ヨーガとは心を滅することである賑やかな外の世界は魅力的でそこに行けば見つかりそうだけれどヨーガは逆眼を閉じて真っ暗で静かな世界どんどんどんどん内側へ向かうそこに全部ある歓喜鞘の更に深く光り輝く真我に触れる初めてヨーガを体験したとても感性豊かな鋭い生徒さんが「ヨーガは究極の引き算ですね」とそうそうそう!最後に残るのは何?あなたはそれ!聖者ラマナマハリシが説くWho am I ?私は誰?聖典ウパニシャッドは説くtat tvan asi (I am that)あなたはそれもう全部あるってこと

手綱

YOGAの語源「yuj」馬に頸木をつける の意馬を つないでおこうねっていうのが YOGA馬は 感覚器官と運動器官 の例え馬は ちゃんとつないでおかないと時たま暴走しちゃうから(病気や依存..etc.)、きちんと手なづけておく心をコントロールできるように身体のメンテナンスをしておくように馬をつなぐ 手綱は 意思意思という 手綱を しっかりと握りしめ 自分で自分を上手にコントロール するっていうのがYOGAそうしないと 馬は暴れちゃうから立ち止まり動かなくなっちゃうからそれぞれの馬が 同調して 動いてくれないと 順調に道を進めないから手綱を握り 指示を出す のは御者(馬を走らせる運転手)御者は 理知(物事を判断する)御者は あっちに進もうとかこっちは危険だからやめようとか怖いから逃げようとか判断して手綱を通して馬を操る判断材料は今まで通ってきた道(生きてきた人生)の記憶記憶は馬車にたくさん積んである何を積んだか 覚えているものもあれば忘れているものもある どちらにせよ判断に影響しているだいぶ都合よくデコレーションした記憶もあれば、間違えたままの記憶も多数記憶から判断して馬を操り人生という道を進む御者は判断を間違えることもある御者は混乱して上手に馬を操れないこともある馬が暴れると上手に道を進めない生きづらいだから、御者には冷静な判断力と生きていく智慧が必要冷静な判断をするためには自分と向き合い 記憶を整理する自分と向き合い 自分の問題だと気づき 認知を改め自分の人生を進む誰かに手綱を渡さないで環境のせい会社のせい上司のせい両親のせい旦那のせい子供のせいにしないで幸せを誰かに作ってもらうのではなく自分の人生を誰かに操られのではなく合わせるのではなく自分の判断と意思で進む馬はつないでおこうねしっかり手綱をつかんで離さないでね手綱を誰かに渡さないでね自分の人生だからYOGA=つなぐそして、馬車の主人が本当の私と気づくことそれが、YOGAのゴール

9月のヴェーダ瞑想②

9月のヴェーダ瞑想②【持ち物が少なければ少ないほど 多くを与えることができる】という智慧の言葉です。これは、《欲少なければ多くの人々と分かち合える》という智慧の教えです。前回の9月ヴェーダ瞑想①では「多くを持たないでいられたこと」を内観し、物質的次元で書きました。この智慧の教えでは、《多くを自分が持てば持つほど、自分一人のことしか考えなくなる》といいます。では次に「これまでの人生体験で“多くを持っていたのでかえって、他人との交わりが良くできなかった」と思える体験を・・・瞑想します。私は過去、あれもこれもなるべく理想通りにこなしたい、お家はいつも綺麗でいたい、食事はオーガニックで手作りしたい、布おむつで、TVは見ない、なるべく触れ合いたい、、、、、。できる妻、できる母でいたい。あーしたい、こーしたいと、自分で好きでそうしているはずなのに、いつしか余裕がなくいっぱいいっぱいになっていました。自分の掲げている理想と現実の二極の対立の狭間で揺れ動き、ダメな自分と思い落ち込んだり、周りのせいにして怒ったりしてました。家族のために、周りのためになんておこがましく、あーしたい、こーしたいというだたの自分の欲であり、こだわり、こうでなくてはいけないという執着。抱える欲が多すぎて、上手くいかず、自分も周りも苦しめていたと思います。もちろん、心身に良いという生活スタイルができれば良いと思う。だけれど、自分の力量を知り、できない自分も優しく受け入れる。疲れたらサボろうよ。たまにはファストフードもいいじゃない。旦那も子供も、疲れてしかめっ面で料理をしたり、洗い物をしてるピリピリムードのママより、ゴロゴロしてても余裕のあって笑っているママのほうが良いよなーと気付きました。最近はさぼりすぎていかがかと思うことも多いですが、昔に比べ余裕があります。自分を受け入れ穏やかに過ごしていると、自分と違う考えや意見を持つ人も受け入れることができるようになってきました。<欲が少なければ多くの人々と分かち合える>もう10月なのに・・9月のヴェーダ瞑想でした。皆様はいかがですか?*ヴェーダ瞑想とは・・聖典や導師の教えをまず良く聞き学ぶ (聴聞/シュラヴァナ)、次にその教説を自ら良く考え(熟考/マ ナナ)、その熟考が無意識の次元にまで習慣化した深い瞑想(日常の瞑想/ニ ディディヤーサナ)状態になって初めて、私たちは三昧の意 識状態の中での気 づき(悟り/ギヤーナ)を得ることができる瞑想の手法