9月のヴェーダ瞑想②
9月のヴェーダ瞑想②
【持ち物が少なければ少ないほど 多くを与えることができる】
という智慧の言葉です。
これは、《欲少なければ多くの人々と分かち合える》という智慧の教えです。
前回の9月ヴェーダ瞑想①では「多くを持たないでいられたこと」を内観し、物質的次元で書きました。
この智慧の教えでは、《多くを自分が持てば持つほど、自分一人のことしか考えなくなる》といいます。
では次に「これまでの人生体験で“多くを持っていたのでかえって、他人との交わりが良くできなかった」と思える体験を・・・瞑想します。
私は過去、あれもこれもなるべく理想通りにこなしたい、お家はいつも綺麗でいたい、食事はオーガニックで手作りしたい、布おむつで、TVは見ない、なるべく触れ合いたい、、、、、。できる妻、できる母でいたい。あーしたい、こーしたいと、自分で好きでそうしているはずなのに、いつしか余裕がなくいっぱいいっぱいになっていました。自分の掲げている理想と現実の二極の対立の狭間で揺れ動き、ダメな自分と思い落ち込んだり、周りのせいにして怒ったりしてました。
家族のために、周りのためになんておこがましく、あーしたい、こーしたいというだたの自分の欲であり、こだわり、こうでなくてはいけないという執着。抱える欲が多すぎて、上手くいかず、自分も周りも苦しめていたと思います。
もちろん、心身に良いという生活スタイルができれば良いと思う。だけれど、自分の力量を知り、できない自分も優しく受け入れる。疲れたらサボろうよ。たまにはファストフードもいいじゃない。
旦那も子供も、疲れてしかめっ面で料理をしたり、洗い物をしてるピリピリムードのママより、ゴロゴロしてても余裕のあって笑っているママのほうが良いよなーと気付きました。
最近はさぼりすぎていかがかと思うことも多いですが、昔に比べ余裕があります。自分を受け入れ穏やかに過ごしていると、自分と違う考えや意見を持つ人も受け入れることができるようになってきました。
<欲が少なければ多くの人々と分かち合える>
もう10月なのに・・9月のヴェーダ瞑想でした。
皆様はいかがですか?
*ヴェーダ瞑想とは・・聖典や導師の教えをまず良く聞き学ぶ (聴聞/シュラヴァナ)、次にその教説を自ら良く考え(熟考/マ ナナ)、その熟考が無意識の次元にまで習慣化した深い瞑想(日常の瞑想/ニ ディディヤーサナ)状態になって初めて、私たちは三昧の意 識状態の中での気 づき(悟り/ギヤーナ)を得ることができる瞑想の手法
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