手綱
YOGAの語源
「yuj」
馬に頸木をつける の意
馬を つないでおこうね
っていうのが YOGA
馬は 感覚器官と運動器官 の例え
馬は ちゃんとつないでおかないと時たま暴走しちゃうから(病気や依存..etc.)、きちんと手なづけておく
心をコントロールできるように
身体のメンテナンスをしておくように
馬をつなぐ 手綱は 意思
意思という 手綱を しっかりと握りしめ 自分で自分を上手にコントロール する
っていうのがYOGA
そうしないと
馬は暴れちゃうから
立ち止まり動かなくなっちゃうから
それぞれの馬が 同調して 動いてくれないと 順調に道を進めないから
手綱を握り 指示を出す のは御者(馬を走らせる運転手)
御者は 理知(物事を判断する)
御者は
あっちに進もうとか
こっちは危険だからやめようとか
怖いから逃げようとか
判断して手綱を通して馬を操る
判断材料は
今まで通ってきた道(生きてきた人生)の記憶
記憶は馬車にたくさん積んである
何を積んだか 覚えているものもあれば忘れているものもある
どちらにせよ判断に影響している
だいぶ都合よくデコレーションした記憶もあれば、間違えたままの記憶も多数
記憶から判断して馬を操り人生という道を進む
御者は判断を間違えることもある
御者は混乱して上手に馬を操れないこともある
馬が暴れると上手に道を進めない
生きづらい
だから、御者には冷静な判断力と生きていく智慧が必要
冷静な判断をするためには
自分と向き合い 記憶を整理する
自分と向き合い
自分の問題だと気づき
認知を改め
自分の人生を進む
誰かに手綱を渡さないで
環境のせい
会社のせい
上司のせい
両親のせい
旦那のせい
子供のせい
にしないで
幸せを誰かに作ってもらうのではなく
自分の人生を誰かに操られのではなく
合わせるのではなく
自分の判断と意思で進む
馬はつないでおこうね
しっかり手綱をつかんで離さないでね
手綱を誰かに渡さないでね
自分の人生だから
YOGA=つなぐ
そして、
馬車の主人が本当の私と気づくこと
それが、
YOGAのゴール
カタ・ウパニシャッド聖典
第3章3〜4節
人間馬車説
ヨーガの人間構造論
真我(アートマン)を車中の主人と知れ。身体(シャリーラ)は車輌、理智(ブッティ)は御者、意思(マナス)手綱と知れ。諸感覚器官は馬たちであり、感覚器官の対象物が道である。真我と感覚器官と意思が一つとなったものを、賢者は享受者(ボークタ)と呼ぶ
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